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2007年 10月 28日

クラシ・イブネ・チョウシ・タイジョウ

 鈴鹿の山で最も気になるイブネ・クラシのあたりを、晴天の下、もう一度歩いてみたいと思っていましたが、その機会がやっと訪れました。前日の予報では、高気圧が張り出し近畿地方は全般的によく晴れるというので、午前5時に起きて出発しました。
 今回は、甲津畑から千種街道を辿り、杉峠からイブネ(1160m)・クラシ(1154m)に至るというコースにしました。ついでに気になっていたチョウシ(銚子1123m)にも立ち寄り、帰りはタイジョウ(1060m)を経由して、千種街道に戻りました。
 この日は、朝から快晴で雲もほとんどないという絶好の秋日和で、イブネからの展望は素晴らしいものがありました。御在所岳、鎌ヶ岳、雨乞岳の並んだシルエットはもちろん、イブネ北端からは釈迦ヶ岳の向こうには、冠雪した乗鞍岳と御嶽山の姿も仰ぎ見ることができました。
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 イブネの山頂は平坦な地形でヤブもない

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by kitayama-walk | 2007-10-28 23:33 | 鈴鹿山系 | Comments(0)
2007年 10月 21日

ウソも方便?-東鳳翩山(734.2m)

 東鳳翩山(ひがしほうべんさん)は、山口市内にそびえる人気の峻峰(734.2m)であり、岩崎元郎氏の新日本百名山に選ばれています。江戸時代の資料には「方便山」と書かれており、「ウソも方便」という言葉の語源にもなった?と言われているそうです。
 東鳳翩山への登山口は5つあると言われていますが、今回は最も山道らしい錦鶏ノ滝からナマナマルート(悪路)を辿りました。深い谷道を登り、主尾根鞍部に出て、東鳳翩山の山頂をめざしました。山頂からはいったん主尾根鞍部まで戻り、主尾根の小気味よいアップダウンの登山道を歩き、板堂峠に至りました。ここからは萩往還の歴史古道を歩きました。石畳の続く古道で、幕末維新の志士たちの往来に思いを馳せながら、錦鶏ノ滝入口まで戻ってきました。
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 東鳳翩山山頂からは360度パノラマの大展望が広がる

by kitayama-walk | 2007-10-21 23:27 | その他 | Comments(0)
2007年 10月 20日

琴石山から三ヶ嶽へ縦走

 山口県に出張する機会があったので、ついでに瀬戸内海を展望する周防アルプスとして人気の琴石山から三ヶ嶽へ縦走してみました。
 琴石山は、山口県柳井市にある標高545.5mの山で、標高こそさほど高くはありませんが、海岸線から一気に立ち上がっている感じの形のよい山です。山頂からの瀬戸内海の島々を眺める景色は素晴らしいものがあります。
 三ヶ嶽は、その名のとおり、3つの頂(東峰、中峰、西峰)をもつ山で、西峰(487m)に四等三角点があります。3つの頂が並んでいる様は何とも言えない風情があります。
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 三ヶ嶽西峰から琴石山を展望する

by kitayama-walk | 2007-10-20 23:42 | その他 | Comments(0)
2007年 10月 15日

廃村八丁を訪ねました

 今回は、京都北山では結構有名な「廃村八丁」を訪ね、八丁の裏山にあたる品谷山にも登るという山行を紹介します。山歩きの好きな人なら、京都北山の廃村八丁のことは、一度は聞いたことがあるでしょう。かつて、八丁の村は、由良川源流のひとつである八丁川に沿って小さな集落を形成し、明治期には5戸が広大な山林を所有し、ひっそりと暮らしていました。ところが、昭和9年積雪3mを超える豪雪が八丁の村を襲い、村人たちは大雪に閉じ込められ、食料は欠乏し、病人の治療もできないという悲惨な経験をしました。こうした生活に絶望した村人たちは次々と村を捨て、最後の1戸も昭和16年に村を去り、ついに廃村となりました。

 時は流れ、かつての生活の場であった家屋は土に還り、古い石垣、墓石、朽ち果てた八幡宮や作業所跡などがかろうじて名残をとどめています。かつて人の営みが行われた廃村は、今も豊かな八丁川の水と緑に包まれており、いにしえの面影は訪問者の心を慰めてくれます。昭和50年代までは、当時を偲ぶ名物の土蔵が残っていて、訪れた人を楽しませてくれましたが、現在はその土蔵も崩壊して、何もかもが昔に帰ってしまったようです。
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 廃村八丁の集落跡にあるピラミッド状の建物

by kitayama-walk | 2007-10-15 22:49 | 京都北山 | Comments(0)
2007年 10月 14日

「魔の山」と呼ばれる谷川岳

 谷川岳ほどたくさんの登山者の命を奪った山はないと言われています。深田久弥の「日本百名山」(昭和39年刊行)には、「今日までに谷川岳で遭難死亡した人は二百数十人に及ぶという。そしてなおそのあとを絶たない。」と記されています。そして、現在では780人を超えていると言われています。こうしたことから、「魔の山」と刻印されています。しかしながら、遭難死した人のほとんどは、一ノ倉沢などの岩壁登攀のことであり、一般登山道を利用した登山についてではありません。むしろ、ロープウェイを利用して登山するならば、行楽の山になっていると言ってよいでしょう。

 現在の谷川岳は、古来「耳二つ」と呼ばれていたそうです。北峰のオキノ耳は谷川富士、南峰のトマノ耳は薬師岳と称されていて、谷川岳という名は、今の谷川岳の奥にある俎嵓(まないたぐら)に付けられていたと言います。それが5万分の1の地形図に山名が誤記されたことから、「耳二つ」のトマ・オキが谷川岳と呼ばれるようになったとのことです。

 「耳二つとはいみじくも付けられた名前で、上越線の上牧あたりから望むと、遠くに猫の耳を立てたようにキチンと二つの耳が並んでいる。その形が実にスッキリして清く鋭く、この山が昔から奥上州の名山とされたわけも納得される。」(深田久弥)というから、まさに「猫耳岳」なのです。
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 天神峠付近から谷川岳を望む(左:トマノ耳、右:オキノ耳)

by kitayama-walk | 2007-10-14 22:36 | 日本百名山 | Comments(0)
2007年 10月 13日

上州武尊山(2158m)

 「武尊」をホタカと読める人は、山好き以外にはそういないでしょう。武尊山は、北アルプスの穂高岳と同音なので、これと区別するために、群馬県北部に位置していることから、上州武尊山と冠して呼ばれています。武尊の名前から分かるように、山名は日本武尊(やまとたけるのみこと)から来ています。命の東征と山とは縁が深いと言われ、前武尊の頂上には命の銅像が建っているそうです。

 深田久弥は、「それは一つの抜きんでたピラミッドとか特異の独立峰として注目されるのでなく、その大きな壁全体として私たちの眼を驚かすのである。」と指摘しています。中心の独立峰である沖武尊のほかに、剣ヶ峰(西武尊)、中ノ岳(川籠岳)、家ノ串、前武尊など、いずれも2000mを超える峰々が湾曲して連なり、大きな壁をなしています。他方、山岳信仰の山でもあり、岩場には鎖やはしごが設けられていて、参拝者に畏怖の念を抱かせる道具立ての用意もなされています。
 
 今回は、武尊神社の登山口から、林道を経て、まず剣ヶ峰に登り、次いで沖武尊の山頂を極め、行者転げのある須原尾根を下って、武尊神社に戻ってくるという周回コースを登りました。
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 剣ヶ峰から正面に沖武尊を望む

by kitayama-walk | 2007-10-13 23:38 | 日本百名山 | Comments(0)
2007年 10月 07日

若狭駒ヶ岳(780.1m)-江若国境尾根を歩くPart3

 江若国境尾根の山歩きのシリーズです。今回は、朽木の池原山から国境尾根(P744)に登り、尾根を駒ヶ岳(寺山)に向けて縦走しました。縦走路は広く、かなり整備もされていて、とても歩きやすい道でした。また、ブナの樹林帯が美しく、神秘的な池もありました。駒ヶ岳(780.1m)山頂からは、東北方面の展望が開けており、三十三間山、三重嶽、湖北・武奈ヶ嶽などの山並みが見渡せました。さらに、木地山峠に向けて国境尾根の縦走を続けると、途中で左手に百里ヶ岳の姿が大きく浮かび上がり、木地山峠から桜谷山への稜線のシルエットは素晴らしいものがありました。できるなら、木地山峠から百里ヶ岳まで歩きたかったのですが、時間の関係もあり、与助谷山(753.8m)から木地山の中小屋に下りました。全般的に登山道や標識が整備されていて、歩きやすいという印象を受けたコースでした。
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 駒ヶ岳山頂からは北東方面の展望が開けている

by kitayama-walk | 2007-10-07 23:23 | 京都北山 | Comments(0)